就職祝いにみる祖父母の幸福感

 帰省中、「就職祝い」と称して、祖父母や親戚からお金をいただいた。新生活がはじめる自分はお金が入用になることも多く、たいへんありがたいことである。

 

 特に父方の祖父母にかけては、私が帰るたびにお金をくれる。ちょっと実家に寄れば3万、今回も10万と、その羽振りの良さにもらっていて申し訳なさを感じるほどだ。

 

 そんな感じでお金をいただく私に対して、母はあまりいい顔をしない。息子がお金をもらった義理を果たすのも面倒だし、なにより金銭の授与により、自身の両親との差を息子が意識することが嫌らしい。

 

 お金をもらっているからといって父方の祖父母を贔屓にすることを、私は意識した覚えがない。むしろ母方の祖父母といたほうが落ち着くと思えるほどで、親密度はそちらの方が高いといって良いと思う。

 

 前置きが長くなった。

 ここが不思議なところで、経済的な面では明らかに父方からのほうが援助を受けているのに、親密性という意味ではどうして母方の祖父母と同じくらい、時によってはむしろ、母方の祖父母に親密性を感じるのだろう。

 

 以下の論文によると、孫との関係性が、高齢者の幸福感に良くも悪くも影響を及ぼすことが示唆されている。この「良くも悪くも」というところが重要で、孫の行動によっては、高齢者の幸福感はむしろ低下するというデータも出ている。

 http://www.comm.tcu.ac.jp/cisj/08/08_10.pdf

 

 また、以下の論文では、学童期における孫が祖父母に抱く親密性について考察されている。

 http://jarfn.jp/kikanshi/10-3/10_3_4.pdf

 

よれば、

 

 孫が身近に感じている祖父母は「祖父」に比べ
て「祖母」、父方より母方の祖父母を選択しているよ うに「女性」の優位性がみられる

 

とある。これは出産後に母が育児を担うなかで、母方の祖父母、さらに言えば祖母が、子育ての相談役あるいはベビーシッター的な役割を果たすことが原因にあると指摘されている。

 

 たしかに、私も幼少期のころは、母方の祖父母によく遊んでもらった記憶がある。当時のいわば情緒面での支援が、今なお続く親密性に繋がっているのかもしれない。

 

 逆にいえば、父方の祖父母は家事もあまりうまくはなく、定年を過ぎてもなお仕事で忙しそうにしていた。だからこそ「お金」という道具的な援助を通じて、私との関係性の構築を図り、幸福感を養っていたのかもしれない。

 

 お金が絡むと人はなぜか、そこに打算的な側面というか、どこかいやらしいものを感じてしまいがちだ。だがそれもまた、ひとつの愛の形である。せめて家族の間では、そうしたダイバーシティを受け入れていきたいものだし、私自身、両方の祖父母には感謝の言葉もない。