次はもう会えないという心持ちで

 ここ1、2年、故郷にいる家族との別れ方について、よく気を払うようになった。

 我が家は4世代住宅で、祖父母は80を超え、曾祖母にいたっては100歳を越えた今もなお、杖なしの元気な生活を送っている。とはいえ、機能の衰えはあるので、こちらが大声を出さないと聞こえなかったり、ボケが及んで同じ話を何回もしたりする。 

 2年ほど前までは、曽祖母のこうした状態に対して、苛立たしさを感じることがほとんどだったし、その気持ちは実際の言動にも出ていたように思う。小遣いをいただいたにもかかわらず、邪険に扱うこともしばしばであった。

 

 そんな態度を改めようと思ったきっかけはいつだろう。いまいち思い浮かばないが、インドに行った時の経験や祖父母の入院から、「死」をより身近に考えるようになったのは、きっかけのひとつであるように感じる。

 

 というわけでここ最近は、別れ際に写真を撮ったり、時節柄問題はあるものの固い握手を交わしたりと、自己満足ながら悔いの残らない別れになるよう、努力している。

 これがまた、前述したような聞き返しやボケが入ってくるとしんどいところもある。だがそこはもう、ある意味の修行であるし、なによりもお互いの間に、死ぬ時の後悔としてそのやりとりを残りたくはない。

 

 私はこれは、すべての人間関係に応用できる考え方だと思う。次はもう会えないという気持ちで、いかに今、その瞬間、全力で相手のために尽くせるか。相手がハッピーになるよう働きかけることができるか。私自身、主観が強烈で、他者との協調性に難があると自覚しているからこそ、この考え方をあらゆる人相手にも適応できるよう意識したい。

 

 こと年配の方に対してはなおさらである。死は美化できるが老いは美化できない。彼らに会話をしたり介護を行うなかで、しんどさを感じることもあるだろう。だがそのときの対応や振る舞いは、相手が亡くなった際、自分の心のなかにどのように残るだろう。

 

 そのことを考えたうえで、日々の行動を少しずつ改善していきたいものである。